2016年9月18日日曜日

部活と勉強の両立は可能か?

 私は小学生の頃から町の剣道道場に通っていました。今では立派な有段者です。

 中学校・高等学校ともに学校内では剣道部に所属し、同時に町の道場にも通い続けていました。私は喘息発作を起こすので激しい運動はドクターストップがかかっていたのですが、稽古の途中に発作を起こしても我慢して好きな剣道を続けていました。

 稽古を終えた後は喘息で体力のない私は帰宅すると倒れ込むように休養を取らねばなりません。とても勉強に長時間を割ける状態ではありませんでした。勉強より剣道の方に力を入れていました。

 剣道がどういうスポーツかを知る面白い話があります。ある研究者が学校で行われている運動系の部活動の中でどの種目が最もしんどいのかというデータを出したのです。具体的には部活動の間にどれだけの有酸素運動をしたのか酸素消費量を測るというデータを集めました。屋外スポーツでは何が一番しんどいスポーツだったと思いますか?ラグビーです。これは案外イメージしやすい結果だと思います。では屋内スポーツではどうなったでしょう?バスケットボールでしょうか?柔道でしょうか?いや、違うのです、剣道だったのです。それも酸素消費量はラグビーと同程度とのことで、一見激しくなさそうな剣道が、学校の部活の中でラグビーと並ぶしんどいスポーツだったのです。喘息持ちの私がよくぞ耐えて続けられたものだと思います。勉強にも悪影響が出るくらいの運動量なのです。それにも関わらず、私は学校での成績を首席で貫き通したのです。部活と勉強は両立できる良い例だと思います。

 ちなみに私の剣道の実力ですが、道場の師範には学生時代には2段までしか取得できないにも関わらず、私には6段を与えても良いくらいだと評価してもらっていました。6段がいかにすごい段位なのかはご想像にお任せします。実際に私は実力を認められて各都道府県で一人しか選ばれない選抜メンバーに選ばれて強化合宿に参加しています。剣道はオリンピック競技でないので話題にも上がりませんが、剣道の世界ではオリンピック候補扱いの選手だということです。私が片手間に部活をやっていなかったことが証明されたと思っています。

 

2016年9月17日土曜日

勉強法・学習法アドバイザー自身の勉強遍歴(中学校編)

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【中学校編】

 私の家が私学の学費も払えないほど貧乏だったことは先に述べました。同じ理由で、私は塾に通わせてもらうこともありませんでしたし、その他、Z会などの通信教育もダメ。市販の参考書もダメ。家庭教師を雇ってもらうなんて論外でした。私の勉強の人生は中学校から始まります。小学校までは全て受け身の惰性でした。自分の意思で勉強を始めたのが中学校からです。そして塾などに頼れない以上、方法は決まっています。学校の授業と独学です。この独学の方法論こそが学人會勉強法アドバイザーの神髄であり、最も効果的な勉強法だと思っています。私は独学の方法を自分で確立しました。そしてそれが高校受験、大学受験の成功につながり、その後の大学院受験にも効果を発揮しました。入試だけに当てはまるものではなく、研究者として、社会人として能力を発揮する時にも重要な基礎になっています。方法論については別の機会に述べますが、中学生から独学で貫いたことこそが人生の成功につながったことを強調しておきます。
 

勉強法・学習法アドバイザー自身の勉強遍歴(小学校編)

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【小学校編】

私の家は大変貧しく、私学の学校に通わせるだけの経済的余裕がなかったので小学校から中学校・高等学校・大学・大学院、全てが公立でした。今日は小学校時代の話をさせていただきます。
 私は小学校の時代に勉強した記憶がありません。知識は入学前から幼少期の教育テレビや図鑑などで小学生標準以上持っていました。授業は真面目に聞いていましたが、宿題以外の家庭での勉強は一切していません。それでもテストは常にと言っていいほど満点でした。教科を問わずわからない問題というものが存在しなかったのです。授業だけですべてを吸収してしまいますから、テスト対策などやったこともありません。私にとって小学校とは友達と遊ぶ場所であり、勉強は意味を持っていませんでした。どうせ公立中学にしか進学させてもらえない環境でしたから、中学受験の勉強をする必要もありませんでした。
 中学受験と言えば思い出深いエピソードがあります。小学校6年の頃でしょうか、担任の先生に母が呼び出され秘密の懇談会が開かれました。母は私が学校で何か問題を起こしたのかと心配で懇談に臨んだと言っていましたが、内容は予想とは全く違ったものでした。担任曰く「お子さんを灘中学に入れるおつもりはありませんか?お子さんの知能指数の高さから言って灘中学受験に十分に合格できるだけの才能をお持ちです。ただ中学入試は特殊な問題が出るのである程度の準備は必要です。担任の私と学校が全面的にサポートいたしますので受験を考えてみてください。」そのような提案があったそうです。知能指数を測るテストを受けた記憶はないのですが、何やら具体的なデータを担任は持っていてそれを根拠に話を持ちかけたようです。公立の小学校が一児童に対して受験をサポートするというのはありえない話です。えこひいきだと非難されてもおかしくないのですから。公立小学校は中立平等でなければなりません。そして灘中学と言えば最難関の中学です。小学校6年も途中になってから生半可なサポートを受けても効果があるかどうかわかりません。しかし担任には合格させる自信があったようです。中学受験をする人たちは何年も前から塾で英才教育を受けて、それでも合否は微妙というのが現実なのに、学校側がなぜ私に灘中学進学を提案したのか未だに不明です。
 その提案に母は即答で断ったそうです。母は灘中学というものがどういう学校なのかもろくに知らない大の私学嫌いです。私学イコール学費がかかると判断したのでしょう。私に相談することもなく拒否して家に帰ってきました。あの時受験させてもらえていればと内心複雑な心境です。人生が変わっていた可能性もあるのですから。それから母は私の知能指数の具体的な数値を聞いたらしいのですが、忘れたと言って教えてくれません。私のIQを知っておきたかったという思いがあります。それほどまでに家族は私の進路や勉強に対して無関心だったのです。そういう家庭環境にありながら、自分の夢を追い続けるのは非常に困難を伴うものでした。
 もう一つエピソードを紹介させてください。小学校の高学年になると友達が多数、私の元に問題の解き方などを頻繁に質問してくるようになりました。先生にではなく同学年の私にわざわざ聞きに来るのが不思議でなりませんでした。質問者は決まって塾に通っている中学受験希望者です。塾で教えてもらってもわからなかった問題を私に解き方を解説してほしいというのです。私は塾や学校の先生に質問するように提案しましたが、皆、私の解説の方が塾講師よりわかりやすいというのです。私は中学受験用の勉強などしたことはありませんし、塾にも通っていないので中学受験の問題を解説するには不向きな人間のはずです。しかし、中学受験のひねった問題を見せられてもちゃんと解説できたので、それが噂になって多くの人が私に質問するようになったのでしょう。塾講師よりわかりやすいとは驚きです。再度強調しておきますが、小学校時代の私は授業と学校の宿題以外は勉強したことがありません。本来なら中学受験の問題に対応できる立場ではないはずなのですが。

勉強法・学習法アドバイザー自身の勉強遍歴(幼少期編)

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勉強法・学習法アドバイザー自身の勉強に関わるプライベート情報です。

【幼少期】

 私は1歳の頃から重度の喘息患者で、ほぼ毎日のように発作を起こして苦しみました。1ヶ月のうちで発作を起こさない日は一日か二日だけという高頻度の発作で、何度も死の危険に晒されながら生きていました。喘息発作を起こしている時には病人であるにもかかわらず布団の上で横になることはできません。横になると気管が圧迫されてさらに苦しさが倍増します。気管をなるべく開いた状態に保つために座った状態で発作と戦わなくてはなりませんでした。眠ることもできないのですから幼い私には生き地獄でした。
 そんな闘病生活を送る私に少しでも気晴らしをさせてやろうと考えた母が座った状態でも気がまぎれる方法を色々試してくれました。その一つにNHK教育テレビを一日中見せ続けるという方法がありました。民放では幼児にふさわしくない内容の番組も流れています。その点、NHK教育テレビは安心だったのです。母の当初の目的は幼児向け番組を見せることでした。「ノッポさん」など私が好きだった番組の内容を未だに覚えています。ところが教育テレビでは幼児向け番組ばかりを放送しているわけではありません。例えば小学校6年理科など幼児が見ても理解しがたい番組もあります。一日中教育テレビをつけっぱなしにしておくわけですから、私の意志や興味に関わらず幼児向けよりも高度な内容の番組も見続けることになります。不思議なことに内容も理解できないはずのそれらの番組に対して私は好奇心を抱きました。そして内容をどんどん理解するようになっていったのです。小学校レベルはもちろん、高校数学なども理解して楽しんで見ていたのですから2〜3歳から幼稚園児としてはかなり特殊な興味と理解力を持っていたようです。
 喘息発作に耐える気晴らしに教育テレビを見せる他に本を読ませるという方法も試されました。これは祖父が買い与えてくれたのですが、幼児向けの絵本などではなく、大人が読む図鑑などが主でした。図鑑なら文字が読めなくとも絵や写真を見るだけで楽しめます。祖父は図鑑のシリーズを全部揃えてくれました。動物、植物、天体宇宙と様々なジャンルの図鑑を読み漁りました。私の趣味に合っていたのです。不思議なことに絵や写真だけを見て楽しむものだったのですが、解説の文章も理解できるようになっていきました。誰が教えてくれるわけでもなく、難しい漢字も文脈から自分で独自の解釈をして読み進めていました。文章を読む教育を受けたことはないので、私の解釈は間違っていたのかもしれませんが、自分で楽しむ分には何の問題もありません。図鑑を全巻読破した後は、一般教養程度の主に科学関係の書物を与えてもらって読みふけりました。文学的なものには一切触れていません。
 こうした幼児体験から、私は科学というものに対して幅広い興味を抱くようになりました。幼稚園にも通う以前に自分の将来について母にこう語っていたとのことです。「大人になったら大学院に行って科学者になりたい」と。この時の気持ちはその後も変わらず、実際に私は京都大学で科学者になる訓練を受け研究員という立場で科学者になることを実現しました。知的好奇心が非常に旺盛な子供だったようです。母や祖父は気晴らしのために私にテレビや書籍を与えたに過ぎず、教育の目的は皆無でした。私が自分の意思で面白いと感じていたからこそ知識をどんどん吸収していったのです。
 幼稚園には所属はしておりましたが、毎日のように続く喘息発作のせいで1ヶ月に一日程度しか通うことができませんでした。幼稚園ではひらがなの書き方などを教育していたようですが私はその教育を受けていません。小学校に上がる頃になると喘息発作の頻度が急激に下がり、病気がちではあるものの小学校には無事通えるまでに回復しました。小学生の頃の私についてはまた別の機会にお話しさせて下さい。

2016年9月14日水曜日

勉強法アドバイザー 経歴

勉強法・学習法アドバイザー 日下由純(くさかよしずみ)

学歴

大阪私立公立小学校卒業
大阪市立公立中学校卒業
大阪府立天王寺高等学校卒業(当時は理数科や文理学科はなく普通科のみだった)
京都大学理学部入学(現役合格)
京都大学理学部卒業(学科内首席)
京都大学大学院理学研究科入学(大学院入試首席合格)
京都大学大学院理学研究科修了
数年間、研究員として京都大学に勤務
大病を患い無念の離職、療養に専念
大阪府の某進学塾Aに高校理系教務として正社員入社
大阪府の某進学塾Bに中学校理系兼英語講師として正社員入社
塾の教育方針に疑問を抱き自主退社
學人會を設立 代表に就任
學人會勉強法アドバイザー主任を兼任

参考)京都大学理学部合格時の入試成績について
私は京大の入試の得点を開示してもらっていません。私は合格することにしか興味がなく、点数などにこだわるのは意味のないことだと開示拒否したのです。しかし、高等学校には成績が通達されていたらしく、担任から以下のような話を聞きました。「君の入試の成績は非常に良く、京大理学部合格は当然のこと。驚くべきは君の成績を京大医学部の得点に換算すると(理学部と医学部では教科ごとの配点が異なる)京大医学部の合格最低点をはるかに上回っていて、もし医学部を受験していたら京大医学部にも現役合格していただろう。なぜ医学部を受けなかった?」何位で合格したのかはわかりませんが、相当な高得点を叩き出していたようです。私は科学者になるために理学部を選んだだけなので、合格可能性が非常に高いからといって医学部を受けることは拒否したでしょう。医者になるつもりは毛頭ありませんでしたから。(医者が立派な職業だというのはわかりますが)


2016年9月12日月曜日

キーワード

勉強法 学習法 独学

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